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             日中宝石交流協会の歩み       

 

 

中国への旅立ち

それは冬を迎える一九九三年にはじまりました。 十月末にしては肌を刺すような北京の寒い夜でした。

心待ちにしていた中国宝玉石協会の方々とお会いしたのは日壇公園にある落ち着いた中国風のレストランです。夜のせか、ひと気の無い暗い公園の向こうに小王府レストランの灯りだけが照らし出されていた。

宴席には白髪の中国地質学会鉱山部の何発栄先生、北京大学教授の崔文元先生、中国宝玉石協会理事の呉国忠先生、彭觥先生方が私を迎えてくれました。普段ではなかなかお会いできない中国資源省の方々です。日本から突然やってきた若造の訪問をどのような面持ちで迎えてくださったかは想像するばかりですが、その出会いを仲介してくださったのが中国社会科学院の田桓先生です。その後、先生とは家族ぐるみのお付き合いをさせていただくようになりました。中国における私の大先輩であり、わたしの気持ちを適切に代弁してくださった大切なアドバイサーとなっていただきました。当時、日本の宝飾業は研磨地としての山梨県甲府と東京の卸市場としての御徒町が知られていました。特に、御徒町には海外からのバイヤーが多く訪れ、製造、問屋、細工職人、研磨職人などの店が三千を上回る「宝石の街」として知られていました。

このよな宝飾業がひしめく中で、小さいながらも十五年間、私は宝石鑑定、教育業を当時営んでおりました。ダイヤモンドは誰しも興味がそそられるように、私も当然のようにダイヤモンドに魅せられていました。中国の宝石については情報も入手しずらい時代でしたが、思わぬところから中国で大型ダイヤモンド発見の資料を目にしました。ダイヤモンドは南アフリカが主な産地だっただけに、そのニュースはあまりにも衝撃的でした。

それは、過去に報告されたものでしたが、1977年12月21日に発見された[「常林鑚石」158.786キャラットのダイヤモンドだったのです。山東省臨浗県常林において作業していた大隊の女子隊員である魏振芳によって発見されました。一般にダイヤモンドはパイプ鉱床か漂砂鉱床で採掘されます。それが地表に近いところでたまたま見つかったと思われます。そのことはダイヤモンド鉱床2があることを暗示しております。もしかして、中国は宝石資に満ち溢

れているかもしれないなどと想像して止みませんでした。いずれにしても、常林ダイヤモンドを一度見てみたい衝動と、中国の宝石を知りたい、情報をもっと得たいと訪中を決心しました。そのようないきさつを交えながら、日本の宝飾事情を席上でお話をさせていただきました。当時、日本と中国の宝飾業界としての交流も薄い時期でした。そのような状況下に、中国宝玉石協会の面々との出会いは私にとって、この上にない機会でした。席上、日本の宝石流通機構や中国の宝飾の歴史、文化、将来の展望などの話に移り、あっと云う間に三時間は過ぎ去りました。お開きになる頃には、美味しい中華料理とお酒が全身を巡り緊張していた心も和らいでおりました。何先生から一つの提案があったのもその時でした。「折角、日本からいらしたのですから、北京大学で宝石の講演をして頂きたい」との要望でした。突然の申し出に「何の用意もしておりませんが、日本の真珠についてはいかがでしょうか?」とご返事しました。じつは、翌日には、長春で日本の業者と会い、その足で吉林産ペリドットを買い付けることになっていました。かなり強行軍になりますが、中国の学生と触れ合う絶好の機会でしたので、三日後の午前十時からの講演を約束し、皆さまとお別れをしました。

 

 

緑の宝石ペリドット(橄欖石)を訪ねて

 

早朝、北京の気温は零度である。そして、これからもっと寒い吉林省への旅立ちである。北京空港で、午後発の吉林への直行便に乗る。生憎の曇り空である。機体は厚い雨雲を避けるように上下左右に激しく揺らす。その度に客席からは不安の「ウオー」という喚起が機内に響き渡っていた。この時期の上空は気圧不順のせいか穏やかではない。やや小型の国内線飛行機は、まるで大海原をいく小舟のように波打つかのようである。次第に揺れが大きく激しくなってきた。およそ三十分ほどで機首を下げ始めると同時に機内アナウンスがあった。何たることか、天候不順で急きょ長春に緊急着陸とのことである。困ったことに目的地の吉林空港では大阪の北陵という会社の社長が自分を出迎えてくれる予定になっていた。着いたらその足3でペリドットの仕入れに向わなければならない。そんなことは知らずして飛行機は長春空港に機体を左右に振りながら大きくバウンドを幾度か繰り返し着陸した。これからが一大仕事である。誰も知らない地、それも夜である。これから百キロ以上も離れた吉林までいかにして行くかである。空港には吉林行きのバスがある。しかし、人で溢れていてとても乗れるような状況ではなかった。そこに登場したのが乗合タクシーである。ドイツ車のパサートという五人乗りである。そこに七人である、手足が外にはみ出るばかりの大所帯である。冷え込む外で次のバスを待つよりましとばかり乗り込んだ。これからおよそ百二十キロの旅の始まり、外の寒気に閉ざされた車中はタバコの煙で充満、帰省する人々の会話は盛り上がり途切れることは無い。冬の夜道を猛スピードで駆け抜けるタクシーの中は宴会騒ぎである。慣れぬ白酒を薦められるまま、いい気もちでもある。ふと見る外の景色は街灯だけが目に映っては後ろに飛び去っていく。長春空港で誰に知らすことなく急いで飛び乗ったことをふっと思いだした。まさか、知り合いも居ないタクシーで吉林向っていることを誰も想像しないだろう。もし、このまま自動車事故で全員死んだとしたら身元知らずの日本人なのである。人生にはこんなこともあるんだと思いめぐらしていると不安が脳裡を走る。そんな心配をよそに乗り合いタクシーは夜の十時に吉林空港へと無事に滑りこんでくれた。長春への緊急着陸を知った社長は、この寒さの中を辛抱強く待っていてくれたのである。翌日、遅れを取り戻すかのように早朝からペリドットの検品がはじまる。中国でのペリドットの産地は河北省張家口と吉林省白石山である。とくに、吉林省のものは黄緑色が濃く、研磨によっては素晴らしい光沢をもつことで知られている。この魅力あるペリドットを大量に仕入れるが目的である。それも均一の色あいのものだけを選出するのが仕事であった。ペリドットは複屈折性が高いため、見る角度がちがうと色も微妙に変化する光学的特性をもっている。その意味で同じ色あいを選ぶのは至難の技である。宝石のなかでも黄緑色のものは特に少ない。その特有の色あいをもつペリドットは別名イブニング・エメラルドとも呼ばれ愛好家がいる。以前、香港国際宝飾展に並べられた吉林のペリドットの輝きをみて、その美しさを再認識したことがある。私の知り合いで三好郁子さんと云う大の石好きがおります。会社名MIQといいますが、、その意味は知りません。単に「三好は、石に、狂ってる」などと勝手に解釈するほど彼女は大の石好きです。美しい石や珍4しい石の情報がはいるやいなや世界の果てまで飛んでいくほどです。その彼女でさえも、この吉林産ペリドットの輝きには魅了されるほどでした。会場のこのブースには人だかりしていた記憶がありますが、この淡い黄緑色の色合いには優しさが漂い、色合いの深さに癒しを感じることができます。氷点下二十六度の松花江のほとりには珍しい現象が起きます。それはダイヤモンド・ダストです。空気中の水蒸気が氷点下十度以下の冷気によって細かく氷結する現象が細氷ともよばれるダイヤモンド・ダストをつくる。それはキラキラと風に輝き、まさに自然がつくりだす幻のダイヤモンドが舞うようです。 北京への帰路は暖房がたまたま壊れた特急列車でした。車内は凍えるうな寒さでしたが、中国の人も日本人もみんな一つになってホカロンで暖めあいました。この旅は行きも帰りも一生涯忘れ得ぬ楽しい体験でした。

 

 

 学の殿堂―北京大学

 

北京大学は日本で言う東京大学であろうか、優秀な生徒が全土から目指す名門校である。何先生とのお約束どうり今日はこの北京大学で講演にきた。日本での宝石ゼミは慣れているとは言いながらも、、さすがにこの時ばかりは緊張していたようです。それを見て盗られるように「先生、気楽に行きましょう、私も精一杯生徒たちにわかるように通訳しますから、大丈夫ね。」と姜貴善さんが声を掛けてくれました。教室はなだらかな階段状になっているせいか、生徒の一人一人の顔を見渡しながら話すことができる。暫くすると、時たま笑いがあるのは姜さんが適当にアレンジして通訳してくれているせいだろう、とても気楽に話が進む。受講する生徒も初めて真珠について聞くのだろう、話していくうちに熱くなる空気が漂いはじめていた。。講義は午前、午後の二回入れ替わりで行なわれました。二百人以上の受講者は真剣に聴講しておりましたが、実技の顕微鏡でみるころには心もほぐれ、真珠の美しく滑らかな表面構造にはため息も漏れていた。真珠の養殖について、講義内容は、真珠養殖、加工についての他にも、真珠の色処理にまで及び、その後の質疑応答は終了時間さえも忘れるほどでした。姜さんとは、その後も宝石関連の通訳として、また、私の主宰する日中宝石交流協会の交流会な5

どにはお手伝い協力をしていただいています。たった数時間のことではありましたが、そこで触れ合った北京大学の生徒諸君と先生方との思い出は深く刻まれております。講義のあとの先生方との懇親会はお酒も入り、それは楽しいものでした。そこで、あらたなる提案が彭觥先生から頂きました。曰く、「佐藤先生は、もっと中国宝飾の人や情報を知りたいですか?」の問いに「そのために北京にきました。」とお答えすると「それはよかったです。今度、いらっしゃる時は宝飾関連の合同交流会を行い、広く情報交換を致しましょう。」との提案に感謝しました。日本に帰国後、さっそく1994年に「日中宝石交流協会」を立ち上げ、日本の宝飾業界に向け日中宝石交流の賛同者を広く求めました。その為の相談顧問としてどなたかを探している際、鹿児島の市長、県議をなさっていた義祖父である平瀬実武様にお願いにあがりました。毛沢東主席とも知合う方でしたので、祖父のまわりには多くの中国の方がおりました。そのお一人を紹介頂いたのが、40年前に日中国交にに尽力なさった肖向前先生でした。その後、先生は宝飾とは全く関係ない世界にもかかわらず、日中宝石交流協会の中国顧問としていろいろとご協力とご尽力をいただきました。ひとつの窓口の設立によって、業界からも賛同してくれる呼び掛けも有り、前回の北京での提案を果たすべく八名の宝飾専門業者と共に北京入りしたのが一九九四年十一月十九日でした。

 

第一回 日中宝石交流会

 

午後6時に天安門近くの民族飯店において第一回目の日本と中国の交流会が催されました。日本からは天久耕吉氏、猪瀬貞雄氏、比田井芳武氏、松本晧氏、風見清氏、岩谷陽弘氏、泉文男氏、山岡実氏、佐藤孝之(筆者)の九名が参加し、中国からは彭觥先生、呉国忠先生、劉昌輝先生、李通一先生、王福泉先生、李動松先生、の十四名が列席しました。最初に通訳の姜貴善女士を介して各自の自己紹介が終わり、中国側から彭先生によって最初の挨拶がありました。次に日本から天久氏より挨拶が行われました。こうして、第一回目の日中宝石交流会が始まりました。初対面とはいえそれぞれが専門分野で活躍している方々なので、お話の内容には自然と熱がはいっていました。当時、日本と中国では宝飾の事情もかなり異なり、特に流通に関しては全く別の考え方をしておりました。それは宝石の6輸入国と算出国との違いからくるものでした。日本の宝飾業界は輸入からはじまり小売までの流通は物差しで測ったようにすっきりしていましたが、その点において産出国の中国では異なる流通形態が発展しておりました。宝石鉱物が全土にわたり採掘されている中国では鉱物研究の歴史は長く宝石はその希少鉱物の一つです。大先輩であり宝石研究でしられる近山晶先生は「中国は鉱物研究では世界一級である。」と仰っては言っていたように、それは豊富な地下資源と長期に亘る探査と分析研究によってもたらされたものです。石を愛する中国人とって石はとても身近な存在です。その後、消費時代の風に乗り、より資産性のある宝石に注目が注がれ始めました。鉱物の延長線上にある煌びやかな宝石こそ、いま、ここにおられる鉱物専門の方々によってその礎が築かれていたことを忘れてはならないと回顧するしだいです。この交流会を振り返って思うに、そういえば、あの時に参加なされた方々の明るさは将来の宝飾業界の繁栄を予測していたのかもしれません。交流会はとてもまじめな情報交換からはじまり、お酒とともに交流から交友へと笑いの宴にかわりました。確か呉国忠先生とのお話中に三度目の提案がなされました。曰く、「中国では沢山の宝石が産出します。一度ご現地を視察してみて下さい」に対し、「是非とも見たいものです」と返事をかえしたものの、ふと広大な中国地図が頭をよぎりましたが、時は既に遅く、私の目の前には雲南省昆明の劉昌輝先生が立っておりました。「是非とも昆明にいらして下さい。気候も良いし、宝石も沢山あります。是非お迎えしたいとおもいます。」とご丁寧なご招待を受けました。

 

北京宝石研究所を訪ねる

 

翌日、彭先生が同業者をご案内しますとのことで、中国宝玉石協会の張輝女士と三人で北京宝石研究所を表敬訪問する。快く迎えてくれたのは董得茂所長と王曼君主任でした。未だ、宝飾品の消費も少ないときてるわりには、一日に40から50個の鑑別以来があるようなので、すでに宝飾品の需要も高まりつつあるようでした。研究所には見慣れた顕微鏡だとか屈折計が並び、研究所は人は違えども、どこもおなじように静まりかえり、そこにはただ、石と人間との無言の会話が漂っていました。

彭先生の提案に従い、第一回目の日中交流会も無事に終え帰国後7、日中間の情報交換で忙しい日々が続きました。姜貴善女士から定期的に送られてくる日本語訳の中国宝石情報はそのまま日本の業界紙に掲載され、かなりの反響と共に、中国宝石に関心のある方からの連絡も増えてきました。その多くは中国産の宝石のサンプルの要望でした。最後には中国視察ツアーを企画し、北京以外にも上海や広州、杭州などといった宝石関連地域に日本の宝石業者を連れて行くようになりました。特に1993年と2000年に訪れた遼寧省瓦房店ダイヤモンド鉱山への視察は驚嘆に値するものでした。もともとは炭鉱穴として発展したものでしょうが、採掘が進むにつれ、同じ炭化物のダイヤモンド層に到達したものと思われます。その規模は、直径400メートル、深さ200メートルにも達するのです。人間のダイヤモンドにたいする飽くなき執念がつくりだしたおおきな竪穴(パイプ鉱床)で穴底で作業するあの大きなブルドザーですら2~3ミリにしか見えません。これほど大きな穴からでも年間14000グラム(7万キャラット)しか採掘できません。そして、採れた原石も美しい宝石としてはその60パーセントの歩留まりを考えると高価な理由もうなずけます。ダイヤモンドの採掘の困難さはやった人でないと分かりません。そう言いながら母岩であるキンバーライトを見せてくれました。李社長はじめ从副社長にはツアー参加の面々も貴重な体験をさせて頂き感謝いたしました。

瓦房店から大連へ、大連から懐かしの北京へ。

ツアーの方々とは北京で別れ、いよいよ提案のあった中国視察の第一歩である雲南省昆明へと飛ぶ。

 

春城―翡翠の昆明へ

 

同行は宝石研磨士の松本晧さんと中国留学生の田口君の三名です。昆明は標高が約1900メートル、三方が山に囲まれた盆地です。花が咲き誇り・春城よばれるにふさわしほどに一年中うら暖かい山紫水明がぴったりの省都である。一生のうち一度は訪れたい所です。事前に北京から連絡をとってくれていたようです。空港へは劉昌輝先生の久しぶりの笑顔が我々を迎えてくれた。中国宝玉石協会昆明事務所で、北京交流会での話題で盛り上がりました。雲南省は宝石産地国のミャンマー、タイ、ベトナムと隣接し絹の道ならぬ宝石の道が存在していました。雲南省がミャンマーに食い込むところに8位置する瑞 (ルイリー)はいまでも重要な宝石の玄関口となっています。昆明からは山岳地帯を数日がかりの所に位置するために、当時は断念せざる得ないことが悔やまれる。昆明の北西には有名な大理石で知られる大理があり、南東約80キロには巨大岩が立ち並ぶ観光地として知られる石林があります。地下資源には恵まれる雲南省でルビーやエメラルドといった主用宝石の採掘も報告されている。市内の第一百貨店には、翡翠の廊下とよばれているところがあります。廊下というかそこの広いへやには翡翠の屏風、七福神、鳥獣類の彫刻のほか何百年も受け継がれてきた彫刻技術の結集された美術品がならんでいる。ここは翡翠の宝庫であり、これほど並ぶ廊下は確かに他ではみれないであろう。昆明は宝石の研磨地としても知られている。多くの原石は昆明で研磨される。研磨工場の規模としては大きいのはあまりなく、4~5人規模のものが目についた。市内には野鳥公園があり、小鳥やコオロギといったもの以外に珍しい宝石鉱物がみられる。日本では数十倍にもなりそうな化石や一木彫りの石です。主に、水晶系の石が多く、ビックリしたのは貝の化石である。?万年前の貝の姿をそのまま留めたものです。

夜にはいり、雲南省宝石協会の方々と、昆明での交流会がおこなわれた。席上、劉先生から石林のお薦めもありバスでいく。地殻変動によって隆起、浸食された石が林立するその風景は、まさに自然の芸術品です。案内してくれるミャオ族、ハニ族といった少数民族の衣装が雲南省特有の雰囲気を漂わせてくれる。石林への道中に、一般人による射撃場があったのには驚きでした。

昆明には毎年一回開催される昆明交易会があります。日に1万とも2万人ともいう入場者で会場内は溢れます。宝飾エリアにはタイやミャンマー、ベトナムからの宝石、中国産の鉱物が一堂にならぶ様子は、色とりどりに咲き誇る昆明の四季の花を見るようです。広州交易会と比べ小規模ではあるが、珍しい民族色あふれる出展品が入場者の興味をそそる。昆明には四回訪れましたが、こんな初体験もありました。それは街の御土産ショップでのことです。ショルダーバックのチャックを開け、見知らぬ人がゴソゴソと中身を物色しているではありませんか?盗むわけでもなく、手で仕分けするかのように覗き込んでいました。相手を睨んでも、何のためらいもなく、ただただ愛想よくニヤー。たまらず日本語教師兼通訳の冨  先生に「無断で人のバッグで何かやってんですか?」と聞くと「佐藤先生申し訳ありませんが、もし、バックに入っている物で、この人9

にあげても良いものがありましたら、渡してくださいますか?」と云われた。なんと、おおらかな所なんだろうと思いました。持つ者は、持たない者に物をあたえることを良しとする習慣なのだろう、これは素晴らしいことである。仏の世界にどこか精通する昆明人の心の温かさを肌で感じる貴重な体験でもありました。昆明はすべてがのんびりしている。いつもながら訪れる美しい翠湖公園も、穏やかな水面を絶やすことなく迎えてくれる。

明日はいよいよ上海である。

 

ファッションの街―魔都上海

 

上海にはじめてきたのは1990年である。当時は南京路も夜ともなると街並みも暗く、商店の灯りと黄浦江沿いのワイタンがやたらに明るく思えた。交易で栄えた上海は、コーヒーにミルクを入れたように、古き良き時代とモダンな世界がうまく調和された独特の味わいがある。そして、国際的なファッションリーダーだけに、店頭に並ぶ宝飾品も煌びやかである。宿泊したのは古き良き時代を今に残す和平飯店である。ここのジャズメンの演奏は国際的に有名であるが、メンバーも年と共に代わり、いまではヤング・ジャズメンが後を引き継いでいる。エレベーターガールはモデルと思わんばかりに背が高く、いかにもファッション上海を象徴している。あの和平飯店も数年でリニューアルし、古き面影もひとつ消えてしまうと思うと淋しい気がする。世界のブランドもここ上海に集まっている。中国のセレブが足を向けざる得ないのが南京西路にある恒隆広場プラザ66である。大きな街路の角に建つ高層ビルである。中は吹き抜けの空間が六階まで伸びており、一階と地下には世界の高級時計ブランド店で占められている。日本でも良く知られたショーメ、ショパール、カルチェ、ゼニス、ピアジェ、ルイビトン、ジラール、リカルド・ミレ、ローレックスなどである。生憎、セイコーは無かったが、さすがに世界のミキモトは出店していた。日中宝石交流協会の上海顧問の張勇さんが突然にいいだしたのは「佐藤先生、豫円のそばにはおもしろい宝石店がたくさんあるから行ってみましょう。」でした。観光名所としてしられる豫円のそばのビルには宝石マーケットがあり覗いてみた。廊下がガラス張りになっており、眼下に宝石が展示してあったににはビックリ、思わず「ジェム・ロー1ドマーケット」なる愛称をつけた。このマーケットは翡翠を中心に、国内産の半貴石が多く、二階にはロット販売のアクセサリーの店が人気を呼んでいた。豫円は観光名所として有名なスポットである。宝飾関係者にとって興味があるのが一年に一回開催される中国国際珠宝首飾展覧会である。会場となっている上海国際エキスポセンターは浦東地区にあり、最寄りの駅はリニアモーターカーの最終駅となっている。会場の面積はかなり大きい。海外からはタイ、台湾といったアジア圏からの参加が目立ち、香港の国際展にみられる欧州、アメリカ、日本からの参加は少ない。高い関税と複雑な輸出入手続きがその要因になっているせいでもある。しかし、富裕層中国人バイヤーにとっては最高の催しとなっているようで、開催二日目には、どの展示館も人で溢れんばかりの盛況さである。宝飾関連事業に対し政府も優遇政策を近年打ち出しています。それが整理されれば、まさに国際色豊かな宝石展覧会となることが予想されます。会場内を歩いて尽くずく感じるのは、この国の地下資源の豊富さである。

最近、注目されているのが、上海のニュースポットとして、田子坊  と新天地がある。どちらも「ここ中国?」と戸惑うくらいのエリアです。まさに、ヤング・チャイナ、若者が集うには最高なデート・スポットとなっています。そう言いながら、上海にきてパリのシャンゼリーゼの風景のようなパラソルの下で、夜風をうけながら飲むビールは最高に美味く、新生の上海情緒にはまっていることも確かである。

 

東洋のベニスー蘇州へ

 

蘇州では13世紀につくられた仏像真珠が未だに継承されている。三角帆貝とは三角形状張られた漁師船の帆に似ていることからこの貝につけられた呼称です。日本のアコヤ貝とは異なり、貝殻自体が茶褐色で貝殻自体が厚く、見るから強そうな貝である。別名は泥貝とも呼び、湖底の泥にもぐり何年も真珠を育て上げる。採れる真珠は色石のようにホワイト、ピンク、ゴールデン、バイオレット、グレーブラックと色どりも多彩です。特に、ホワイト、バイオレット、ピンクの三色の組み合わせは蘇州カラーと呼ばれ彩色が鮮やかである。ちょうど湖面に跳ねる光彩色のようで、夕陽に映る湖水真珠の美しさは我も忘れさせてくれます。本来、この真珠の名称は、中国2、日本で淡水真珠とよばれております。海で採れる真珠を塩水真珠とよばないように、この真珠にも、その美しさを形容する名称として、あえて真水(淡水)よりも相応しい湖水真珠(Lake Pearl)の名を日本の業界紙に発表した経緯をもって私は使用しております。蘇州には大小沢山の池や湖があります。周辺には農家を兼ねて池で真珠養殖を行ってことも多く、自分がお世話になった李おばさんもそうである。庭先では真珠の話題が飛び交い楽しげである。ここのお宅には三度ほど訪問し、湖水真珠の養殖についていろいろと勉強しました。今は、お嬢さんの李彩珍さんがあとを引き継ぎ上海に販売店を開いている。お仕事熱心な彼女は今では大成功を収め次なる宝飾事業もあるようでよかったです。養殖に使う貝は三角帆貝で別の名を泥貝ともいう。何年も泥にもぐり真珠を育てることから由来する。この母貝からできる真珠は真珠層が厚く、その結果、光学的いうと光沢(テリ)が良く、真珠層の薄い有核真珠と特有の深みがある。一年で2ミリほどの成長しかできない為に、10ミリ珠で5年を費やすことになる。ドブ貝からつくる丸い核で真円真珠が形成されるのは理にかなっているが、無核で外套膜からとるピース細胞(不定形)をいれるだけで真円真珠をつくる技法は神業にも等しい。中国の真珠ずくりは十三世紀の仏像真珠から端を発し脈々とその養殖技術は今に伝わっています。日本から遠路はるばるやってきた目的は神秘の真珠を見るためであった。渭塘にある真珠市場へは、幹道からやや細くなった一直線の道に入る。その沿道には黄色の絨毯のように菜の花がびっしりと咲き、心地の良い道先案内となっていた。正門をくぐり市場までの左右は立派な真珠店が並び、いつもの風景のように呼び込みに誘われながら真珠市場へとたどり着く。賑わいとともに真珠、真珠、真珠がめに飛び込む。朝から夕方四時まで常時3000人以上の売り手と買い手とのやり取りで賑ぎわっている。二階はバイヤーとの商談部屋があり、どれも廊下側は鉄格子になっており、真珠の盗難防止となっていた。後年、訪れたこの真珠市場は役目を終え、ほど近い場所へと移転していた。同じ渭塘地区内の開発地区に建設された新市場は、とてつもなくおおきな真珠の珠を入り口に構えており、あたかもここは真珠ワールドの象徴である。層吹き抜けになった一階に入ると二階、三階の周り廊下には、香港やら中国内企業の出店が並ぶ。あまりに整理整頓されたフロアーには昔の懐かしき面影はなく、大都市デパートのようである。しかしながら、並んでいる真珠の数、種類は多い。中国には二大真珠市3場がありますが、一つは今ご紹介した蘇州から車で四十分ほどの渭塘にある中国珍珠(宝石)市場ともう一つは、杭州からおよそ一時間半の諸曁真珠市場です。二つの市場の違いは、前者は比較的小さいバロック珠が主流ですが、後者は10ミリ以上の大珠を主流に、なかには、20ミリといった希少珠も市場にみられることです。現在、この二つの真珠市場は地域の再開発と共に広々としたスペースに移り、ひときわ目立つ国際真珠市場に変貌しました。蘇州は水に恵まれた地域で「東洋のベニス」と呼ばれています。点在する池や河、湖には養殖網を吊るす発泡スチロールの白色が眩しいぐらい水面に浮かび、湖水真珠の故郷を偲ばせています。

自然にめぐまれる蘇州には造園芸術の傑作といわれる拙政園があります。同じ四大名園の上海にある豫円とは異なり、五万ヘクタールの敷地に展開される池や林、建造物には贅が尽くされています。曲線にデザインされた窓からの風景は絵画のごとく、見事に室内の装飾として映え、心に安らぎを与えます。自然の営みや花鳥風流を愛する中国人のまさに結晶芸術の神髄を想わせる造園技術です。

 

 

「ここに無いものは無い」ー義烏市場

 

諸曁真珠市場からおよそ70キロ離れた義烏(イーウー)は国際市場として名高い。「義烏には無いものは無い」と言われほど商品が豊富です。日本の100円ショップの大半はここが発祥地ともいわれています。宝飾関連の商品については、大半がアクセサリー系統が多く、その他には、中国産の半貴石やブラジルからのガマと日本で呼ばれるアメシスト原石などが目につく。買い取りはものによってことなるが、すべて何千、何万のロット単位である。どうしてもサンプルとして数個買うには数倍のお金を払うことになる。日本で盛んに売り出された百円ライターの原価が三円弱と聞きビックリである。より安価な国内原料と豊富な労働力、そして大量ロットの販売力がもたらす結果がここに集約されていた。バラ売りではとても算出不可能である。一個一円の利が大きな利を生む原点がここのやり方である。販売するジャンルはビルごとに分けられており、間違えるとキロ単位の歩行を余儀なくされる。大汗ものである。

義烏から上海までの新幹線の車中は買い付けにくる他種他国家の4言葉が車中に飛び交い、世界最大の卸市場として頷けるほどである。

 

「飾(食)は広州にあり」―広東省・広州 

 

日中宝石交流協会は年に三回、多い時には四回中国視察ツアーをおこなっています。その都度、日本の宝飾関係者を中国へ紹介しています。そのなかで最も興味が注がれるのが広州です。

「食は広州にあり」と言われるように、広州は気候的にも地理的にも食材が豊富である。思い出すのは一九八五年に訪れたときの広州交易会である。広大な敷地に展示される商品の多さに驚いた。農耕器具から日用品にいたるまで人間が生活する範ちゅうのものがすべて揃い、それこそ中国国内で生産される品々がすべて紹介されている。宝飾関係のほとんどは裸石もしくは原石である。それも中国全土から採掘されるものが集積されている。山東省蒙陰のダイヤモンド、同じく昌楽のサファイヤ、吉林省白石山のペリドット、雲南省元陽のトルマリン、トパーズ、アメシスト、なかでも緑色の強い湖北省鄖県のトルコ石の天女の彫刻の出来はすばらしく鮮やかで美しいものである。宝石会場は現地で採掘される石の彫刻を沢山目にした。さすがに広州は研磨の街である。展示された作品は十人十色で一つと同じ表情をもった大黒様もいない。どの彫刻品も欲しくなるものほどでばかりである。日本の10分1ほどの価格の安さは想像外であった。年月を経て、広州交易会の内容も大分変わったようだが、変わらないのはその時期の広州は国内外からのバイヤーであふれんばかりである。好景気に沸く自国をターゲットにした商品が所狭しと並んでいる。商材探しの広州は幾ら時間があってもたりない。とくに、茘湾広場は宝飾関係者にとっては絶対にはずせないスポットです。この地域は宝飾関連企業にとっては宝庫となっている。市場としては大きく翡翠地区と色石、パーツ地区に分けられる。翡翠にはA等、B等があり、天然翡翠と色処理翡翠によって仕分けされる。色の加工にはいろいろありますが、その技術は年々高度化され判別は難しい。鑑別器具の持ち込みは、ご法度ではないにしても、かなりの度胸を必要とした体験がある。ここの翡翠マーケットは主に裸石が多い。数年前の路地店とは異なり、今は整理整頓はされ、小さな店舗から高額品ばかりをそろえた立派な店構えもある。裏道の小さな研磨工場だけは相変わらず懐かしい風景が残っている。5煌びやかな宝石の裏腹に、石粉を巻きあげ研磨に勤しむ汗だくになった雄姿がそこにあった。翡翠の地区と道路を隔てた、色石の地区には、目に痛いほど色とりどりの宝石が軒先に並んでいる。

ビルのなかにはおよそ三から六平方メートルぐらいの店が並んでおり、中にはワンテーブルで呼び込みも激しく売る込んでいるところもある。ダイヤモンド、ルビー、サファイヤ、エメラルドなどはあまり見受けないにしても、それ以外はなんでも揃っているのが荔湾市場である。この光景に「恐るべし広州」と口にした日本業者を思い出す。なにしろお店のテーブル、囲う壁が見えないほどに商品が陳列されている。それほどインパクトが強い。この商品量は、海外から訪れる業者の欲望というものをすべて飲み込んでしまうほどである。現に、この市場では必ずと云って、仕入れるお金が足りなってしまうのである。一見は百聞にしかず、広州を知らずして宝飾は語れないほど、ここは石の桃源郷である。広州には有名な珠江という河が流れる。黄昏ともなると人々は河畔のレストランに集い、海鮮料理を心ゆくまで愉しむ。食材は陸、海、川に棲息する蛇や魚、なかにはワニまで並んでいる。一階は数百種にのぼる食材が水槽に泳ぎ、好き勝手に選んでは調理してもらう。美味い中国酒が伴い、陽が沈むにつれ、珠江に遊ぶ華やかな観光船がテラスの前に流れ浮かぶ。ここはまさしく「食は広州から」の世界で満たされる。そして色とりどりの宝石が溢れる「飾の広州」であることも間違いない。

広州から香港まで汽車で二時間ほどである。

 

中国最大 日本湖水真珠工場

 

広州から香港の途中、広東省増城市新塘太平洋工業団地の薬師珍珠(広州)有限公司がある。一九九一年に日本企業として初めて中国内につくられた本格的な湖水真珠の工房である。工房とはいっても敷地三、三一五坪を有し、地上四階、地下一階のビルと地上四階の社員寮ビルを備えている。社員は百名以上おり、多くは地方からの十六歳から十八歳の女子である。整理整頓された部屋は清潔にされており、すれ違うと「今日は。」とほほ笑みながら日本語で挨拶される。ここでの作業は珠の選別が最重要視されている。たとえ針先のピンポインのキズさえ見の逃すことはない。これは「細やかな技術の積み重ねこそが大切、たとえ厳しい要望であってもクリヤーし6、他では決して手にいれることのできない湖水真珠を届けるのが、私どもの最大のよろこびである。」という薬師幸二社長の信念からきている。中庭には大きな養殖池があり、尋ねる人は珠出しの体験もできる。朝礼に立ち会った際、報告するうら若き乙女の厳しい姿勢に、身も心も引き締まる思いをしました。さすがに、ティファニーやら世界のブランドを相手にする世界一級の湖水真珠の工房である。

 

東洋の真珠―香港 

 

一九九七年における香港の中国返還は衝撃的であったものの、市場における大きな変化はなく、通常どうり、毎年9月に開催される香港ジュエリーフェアーは逆に最大規模のものになった。其の前身は九龍半島の南端にあるニューワールドでおこなわれていた。一九九八年までの足かけ九年にわたり毎年この祭典を訪れていたが、当時、香港は、全世界からありとあらゆる宝飾品がもちこまれる集積地であった。販売する者や買い付けする者で開催期間は数万人が会場に溢れるほどでした。今では、会場も香港島のコンベンションセンターに移り、人通も広ーい会場をスムースに流れることができるようになったが、あの当時は小さい小部屋をひとつひとつのブースとして利用した影響もあり、部屋はすぐに充満し、熱気がムンムンっするほどである。5日の期間で全て見て回るは当然不可能であり、前もって目当てのブースのみ廻るのが精一杯である。遠くはメキシコ、ブラジル、オーストラリア、製品はイタリア、フランス、日本、アメリカなどで中国産宝石の多くは深圳経由で出品されていた。三兆円を超える日本の年間宝飾産業を背景に、日本からのバイヤーが殺到した時代である。想い出すのは、香港でのハードな一週間です。その頃、日本では三越デパートの贋作問題が渦中でした。日本のエンドユーザーを連れて香港翡翠買い付けツアーが、あるデパートによって企画されておりました。会場に並ぶ翡翠がお目当てです。もしまがいものでも買ってしまったら大変な事態になりかねません。依頼から三日後には一人香港にたたずみ、明日からの日々を、ビクトリア湾に沈む夕陽に想像していました。チムツァツイ駅から地下鉄に乗り、香港島のセントラル駅近くの会場に足を運ぶ日々が始まりました。散弾銃を持つガードマンに守られ、誰も居ない会場で朝から晩まで何千個とある翡翠の鑑別に追われこと三日間、眼球が7緑になるのではと心配したほどです。其の甲斐もあって、展示会当日は何の問題も無く五千万円もの買い付けあったことを知らされ、漸く重い責任から解放された貴重な体験でした。九十九年間の英国時代から中国香港へ変遷があったにもかかわらず、いまだに香港国際宝飾展は世界中から注目されている存在である。日中宝石交流の香港ツアー企画には、香港支部長を長年やって頂いているジェニーさんには通訳やら情報提供といろいろとお世話になっています。心から感謝申し上げます。

いま思えば、一番最初に訪れた香港には海底トンネルもディズニーも無く百万ドルの夜景だけが目に映え、九龍と香港島を結ぶ道は唯一スターフェリーでしたが、夜更けにともない波打ちに浮かぶジャンクで島へ帰る人々の光景が今でも目に浮かんできます。

 

国立宝石専門学院

 

二〇〇八年四月に北京ビジネスツアーが行われ、十四名の宝飾関係者が北京を訪問しました。参加者は輸入、製造、卸、小売、デザイナー、宝石鑑別士、通販関連、専門学園など他種において、それぞれ活躍される方々です。初日は宿泊の龍頭公萬から市内中心の小売店やショッピングモール、骨董マーケット視察巡りを終え、午後からは北京の北西にある国立中国地質大学を訪問する。全国から多くの優秀な学生が集まり、ここで思う存分学業に励む。広々としたキャンパスは目に眩しいほどの陽光が緑に浮かぶ。大学の専科として国立の中国地質大学「珠宝学院」が付属校としてある。十二年前に開校されて以来、宝石専門の生徒を育成している。卒業までの四年間で基礎宝石学、色石鑑別、ダイヤモンド鑑定、宝石研磨、宝石彫刻、デザインなど宝飾全般を習得する。この学院は当然狭き門で、学歴重視の教育方針を貫いている。毎年百四十名位の新入生を受け入れている中国最高峰の宝石専門学院といえる。学院長の何明 先生のご案内で各教室を案内され、真剣に宝石を学ぶ生徒の姿を知ることができた。「中国の宝飾産業は、これから急成長を遂げていきます。ですから生徒も真剣にとりくんでいますが、国としても優秀な生徒の育成に力を注いでいます。」と何校長の言うように四年後の今、中国宝飾産業はアメリカを抜く勢いにまでなっている。卒業生のほとんどは国家企業へ就職し、在学中の学費返済を行っている。そ8の間、国家試験に合格した者は、晴れて国家公認の宝石鑑定士の名誉に浴することができる。千名いる国家宝石鑑定士の内、百名ほどはこの学院卒業生とのことである。この資格は弁護士以上に生涯保証が高いともいわれます。それほど難しい試験であることも確かです。京都からの本校在学生で日本人第一号の野口晋太朗君も頑張っていた。彼が曰く「最初は辛かったです。でも言葉の壁が抜けるに従って、日々、中国の友人も増え、ハードな学科もとても楽しく思えるようになりました」と云っておりました。お父様は京都でオリジナル・ジュエルの企画販売する絵夢工房を主宰しておりますが、今は、遠く日本と中国に離れてそれぞれに活躍する日々を送っていました。一行は学院をまわりながら、それぞれの感想を口々にしておりましたが、その御一人の石崎文夫氏は、学校法人「水野学園」で長年にわたり講師を行ってきている。日本から来る前に、同じ中国の専門校にはかなりの関心と興味を抱き視察ツアーに参加していました。その感想は「彫刻、鑑別、研磨、デザイン製作教室などを見て回りましたけど、たった十二年間でこれだけの設備や工具、教師陣の充実が図れるとは予想以上に凄いものですね。これは国家レベルと個人レベルがいかに異なるかの差でしょうかね、ここで勉強できる生徒にとっては最高の環境ですし、将来は期待の星ですからね。」と云っていた。明るく窓から手を振る生徒たちとお別れをした。

次の目的地は朝陽区に建設中の「国粋苑芸品広場」である。総合展示施設としてはかなりの広さである。展示館は完成まで一年はかかりそうであるが、それぞれの外観は特徴がある。建物の外観によって西洋色、中国色とはっきり打ち出しているところから、内部の様子や展示物が想像できる。宝飾館はやや小さいながらお洒落さと豪華さを誇っている。日中宝石交流のツアー参加者でもあり、通訳を願っている常連の冨江さん曰く「この建築物や構想の大きさにはただ唖然とするばかりだけど、今の中国は、宝石市場にはかなりの手ごたえを感じていて、未来に向けて莫大な投資をしているのが、これを見て分かりますね。」と、生憎の雨の中の視察でしたが巨大資本投下の意気込みを大いに感じるものがありました。

 

第二回 日中宝石交流会

 

二〇〇八年四月二十日六時から北京市内の台湾レストランで行わ9れました。中国からは彭觥先生、吴国忠先生はじめ刘淑琴先生、宋建文先生、丁文忠先生、徐光徳先生、傅林堂先生の出席のもと、中国商業連合会珠宝専門委員会の常雲祥先生のご挨拶から始まりました。

引き続き日本を代表して石井比功次先生より挨拶が交わされた。席上、今回の北京・ビジネスツアーで見てきた「北京古玩城」や「北京潘家園旧貨市場」での感想や、中国側からは宝石鑑別に関する国家試験制度や建設面積二万三千平方メートルの大展示販売センターの完成、新しい宝飾総合センターの計画など、将来に向けた中国宝飾への展望について熱のこもった報告がなされた。質疑応答では、税金問題、保険、留学制度など活発に意見が交わされていた。参加者四十人を超える晩餐会場は、日中宝石交流協会北京支部を代表する韓美栄女士の案内もあって、すばらしい部屋と美味しい中華料理を心行くまで堪能することができた。終盤、日本を代表するコスプレ企画会社ユウ・メディア(山崎哲明社長)の    さんによるコスプレ衣装を着けてのサプライズがありました。テーブルサービスをしながら中国の皆様にお土産の御箸をプレゼントしていただきました。実はこのお箸には深い意味があります。食事に使う箸の発音は中国語の第四声に近く、これを第一声の発音で読むと橋の意味になります。この箸を使われるときに必ずや今夜の心と心の結びつきを思いだして頂きただくように、この箸―橋に託したものでした。中国の京劇はコスプレの元祖です。その演出には周囲のギャラリーもたくさん集まり晩餐会を一層盛り上げていただきました。送別にあたり、中国人の参加者とまたお会いする日を楽しみにとお一人お一人をお見送りしました。彭先生と吴先生がにこやかに「今日は有難う。」と云って下さったのが今でも心に残っています。交流とは、心の憩いの広場なのです。

 

 

黄金の故郷―招遠

 

日本へ帰り相も変わらず、日中宝石交流協会の活動を続けているところへ山東省招遠市から連絡が入りました。その内容は、東京で「黄金の都」招遠市の説明会へのお招きでした。聞き慣れない地名と黄金都市をキャチフレーズの説明会に引かれ、飯田橋の日中交流会12館へ足を運んでみた。会場には金の一文字に誘われたのであろう同好の人たちが部屋を埋めていた。説明会は招遠市貴金属宝飾加工貿易投資についてである。すでに、ドイツ、アメリカ、韓国、香港からの二十社が投資しており実績をあげているとのことでした。説明会では日中宝石交流協会代表として挨拶をすることとなり、協力要請がありました。日中交流を主とする立場上、市の発展と人脈交流を思い全面協力と同時に、招遠市で開催される宝飾展への視察も約束しました。私にとって金は特別な存在でした。大学の卒論テーマがたまたま「金と貨幣経済」であったのもそうですが、黄金の輝きに期待は膨らむばかりです。仕事上でも金の知識は不可欠なこともあり、現地での金の採掘や精錬を見れることはめったにない体験です。気持ちは既に「黄金都市」招遠市へと飛んでいました。説明会から数カ月後の二〇〇四年二十七日に参加者  名と共に青島国際空港へと向かいました。

到着ゲートにはいると既に招遠市からの御迎えがあり、其のまま政府からまわされたバスに乗り込む。今回のツアーは中国政府の招待もありすべてがスムースである。三十人乗りバスの前後には公安と大きく書かれた警備車が先導する。青島からほぼ北へ二時間ほどで招遠市である。その間、交差点ごとにけたたましくサイレンを鳴らし続ける先導車の行く手の信号は青に変わり、ストップ走行で走り抜ける。道往く人々は何事とばかりVIP扱いの我々に目を向けている。国の招待とはこのようなものらしい。御蔭様で予想された長いバス旅もかなり短縮して目的地の招遠市に到着する。歴史ある旧市街から新市街に入ると風景はは一変し、まさにアメリカのビバリーヒルズが眼前に飛び込んできます。広々とした地域に美しい広場と超モダンな建物が点在する。その先に人々が群がっているビルディングこそ、二00四年度八月二十六日から四日間にわたり開催された第二回国際黄金珠宝首飾展の会場となる黄金珠宝首飾城です。

開会式には周波市長の挨拶に続き劉為群書記主任の後、お祝いごとには欠かせない大きな銅鑼の響きといっせいに打ち鳴らす爆竹によって開場となりました。黒地に赤のドレスに身をつつまれた中国人モデルによるファションショーは、オープニングセレモニーの華やかさをさらに盛り上げていました。吹き抜けになった会場内は一階から四階まで百九十三社の参加企業によりブースは埋められている。ほぼ半数以上は地元企業や中国内からのもので、海外からはミャンマー、韓国、香港からの参加が目に着く。ここ招遠は黄金で知ら2れるだけに、会場内は黄金色で溢れかえっています。期間中の売り上げは一二〇億円で入場者は六万人とのことでした。来場者の内訳は国内バイヤー、香港、欧州からの卸、小売業者が多く一般消費者が極端に少なかったのは、まだまだ高嶺の花てき展示会だったのかも知れません。日本からの出展はありませんでした。輸出入貿易や関税の問題といった日中間における経済機構の複雑さや日中貿易の不明瞭の問題もあったようです。販売ランキングでは、ゴールド製品プラチナジュエリー、シルバーアクセサリー、中国産湖水真珠、ダイヤモンド、色石となっていました。やはり開催地ならではの結果でしょう。その他にも翡翠の裸石や健康グッズを目的とした石など展示しておりました。明日はいよいよ金の精錬視察です。

 

日本の佐渡は金の鉱山として良く知られています。世界地図でみると緯度37度に位置し、それを基点に左にたどっていくと山東半島に入り招遠にピタリと結びつきます。日本列島とユーラシア大陸が一つだったゴンドワナ大陸時代には佐渡と招遠は同じ金鉱脈だったのではとロマンティックな夢にかられます。山東省は紀元前の儒教の祖である孔子や紀元後における三国志に登場する蜀の名参謀である諸葛孔明を輩出したことで知られています。いまからおよそ一千年前の宋の時代に招遠は金の産出地として既に記録されています。その当時、黄金郷を夢見て沢山の人が中国全土からやってきたのが偲ばれます。その金はいまもって堀り続けられています。ここでの正確な埋蔵量はわかりませんが毎日のように地中から金を含む土砂が採掘されています。ここでの選好能力は一日六百トンといわれています。それに対し、金の産出量は年間一万六千八00両(一両は五0グラム)で中国全体の6分1をここで産出しています。中国における金の存在は重要視され許可なく、製品以外の金を自由に売買することはできません。金翅砿冶有限公司は金の取り扱いを担う重要なポスト企業です。その好意もあり、門外不出である土砂の選鉱から金を精製される精錬工場へと案内されました。金を含む土砂は数十もの行程を経て泥土化されます。その行程作業はおよそ二00メートルもあるような工場を必要とします。まず最初に巨大なロボットのような削岩機によって大きな岩石がより小さな石へと粉砕され、更にもっと細かい粒子状になるまで行程が繰り返し行われます。工場内は金の分別採取のために使用される薬品や泥土臭とが工場全体に漂っています。見学コースは山登りをするかのようにカーブ3やアップダウンが続きます。特に機械音が炸裂する足下の隙間からは、流れ出る溶岩のようにどす黒いペースト状泥土がゆっくりと流れていくのが見えます。招遠の採掘は地表面から掘り進む露天とは異なります。小さな坑道を掘り込んでは岩石を地表に運び出す坑道掘りです。時として、岩盤の緩みから落石なども発生するようなので、ここで働く人にとっては命がけといっても過言ではありません。現在の坑道の長さは四00メートルといわれており、その坑道すれすれにトロッコが次から次へと消え、それに代わって満載になった土石を運び出すトロッコが二十四時間間断なく続きます。二0キログラム(g=五000円として一億円)の金塊を手にした時、其の価値の重みを尽くずく感じます。

招遠―その由来は遠方より人を招くことです。この旅ができたことはまさに、金の魅力がそのようにさせたのでしょう。四日間と短い日々に周波市長はじめ我々一行を心から温かい歓迎を下さった邱家書主任、招遠市経済開発区管理委員会の皆さまに感謝し、輝ける黄金の故郷をあとにした。

 

 

第三回 日中宝石交流会

 

二0十二年五月二十五日から二十八日にかけて第二十七回北京視察ツアーを行いました。十二月に開催される中国国際珠宝展の打ち合わせと交流会が目的です。二十六日の六時半から会場は日壇公園北門にある「小王府 日壇公園店」で第三回日中宝石交流会が行われました。四年振りの交流会とあって懐かしい顔がそこにありました。。中国側からは彭觥先生をはじめ中国珠宝玉石首飾行業協会の韓浩女士、日中商貿の丁ジュイ(契の下が女字)女士、劉景春先生、中国珠寶の焦峰先生、彭曉虎先生、通訳して頂いた姜貴善女士と司会役の呂朋先生、日本からは浅野 眞一氏、早川 豊、懸谷 正人氏、松田 圭三氏、橋本麗麗さん、そして今回の交流会をセッティングしていただいたJcomChinaの和田広司氏と筆者が参加しました。それぞれが自己紹介の後、韓女士から国際珠宝展の説明と日本からの参加を期待する挨拶がありました。今回の交流会は前回の交流会と異なり、実質的なビジネスを念頭においた内容の討議が盛んに行われた。いつものことながら時間がいくらあっても足りない交流会となった4。席上、彭先生から新たに参加した日本人に対し、心から歓迎の意が伝えられと同時に今後の再会を誓い閉会となった。

 

 

東京国際宝飾展 

東京国際宝飾展は国内最大級のイベントです。今年で二十三回目を迎え、期間中は世界各地からおよそ三万人のバイヤーが訪れる宝飾展です。このイベントには国内外の宝飾品が一同に集まります。二0一二年に日中宝石交流協会として初の参加をおこないました。我々のブースには日本と中国からの混合チームとして出展しました。

中国からは広州を中心とした半貴石を販売する天華(有)が出展しブースを賑わしていました。日本からはダイヤモンド専門、色石専門、真珠、デザイナーコーナーなど多彩な出展があり色とりどりのコーナー展開となりました。参加の主旨は日本と中国の素晴らしい宝飾品を国際的舞台で紹介することにあります。第一回目の参加に続き、二0一三年の第二十四回東京国際宝飾展にも参加しましたが、

前年に比べ★来日する

 

二0一二年 

二0十二年 中国国際珠宝展

 

二0十二年十二月十四日から十七日にかけて第二十八回目の中国視察ツアーが行われた。この訪中には、政府機関である中国珠宝石首飾行業協会主催の北京最大の「2012年中国国際珠宝展」の視察と第四回日中宝石交流会の目的がありました。この時期はちょうど尖閣諸島の問題が鬱積する最中の訪問にもかかわらず、中国の方々からの熱烈歓迎ぶりは我々の心に温かいものを残してくれました。中国国際珠宝展は北京の北に位置する朝陽区北三環にある中国国際展覧中心(センター)で四日間開催された。国内外の出展社数、ディスプレイ、設備、出品数、来場者数とも数年前に比べるとはるかに凌ぐものとなっていました。生憎の寒さと雨降りにも拘わらず、入口では入場券の発行にかなりの時間を要する盛況ぶりです。展示内容は中国の方の趣向、指向をタゲットにしたものが目に着きます。それは主に翡翠でありダイヤモンドです。翡翠の彫刻は以前に昆明でみたような大作がずらりと並びそれは圧巻でした。中国人作家5によるオリジナルな彫刻品はとても奇抜でニューアート感覚が人気を呼んでおりました。思ったよりダイヤモンドの数が少ないのは輸入関税の問題があるからかも知れませんが、それにしても3ctや5ctサイズが海外ブースには並んでいました。海外ブランドはアジア圏の宝飾展では人気があるように、ここ北京でもやはりそのようでした。今回は日本からの出展はありませんでしたが、ヨーロッパを中心とした海外の参加企業は中国を大きな市場と見ているようです。展示様式は日本とは異なりほとんどのブースは販売価格は表示されていません。「買うなら、交渉で」が基本です。ここでは目利きと腹の探り合いのできない人にとってはちょっと難関?の様な気がしました。主催者からの日本企業の出展オファーを随分と耳にしました。これからの中国市場の開発に、この宝飾展は最高の足場となることは間違いありません。因みに、1ブース(3x3平方m)代金が三万元でした。

 

第四回 日中宝石交流会

 

半年前の交流会に続き、二0十二年十二月十五日、今回で第四回目の日中宝石交流を迎えました。集会は十五日の六時半から国際珠宝展会場から十分ほどの花家怡園餐庁国展店において開かれました。中国側から呉国忠先生、彭觥先生、韓浩女士、焦峰先生、劉洋女士、馬宋科先生、韓曉玉女士、馬松亭先生、彭曉虎先生そして日中宝石交流協会の北京理事の韓美栄女士が参加した。日本からは冨江敏夫氏、松田圭三氏、橋本麗麗さんの他に、今回の交流会で素晴らしい通訳をしていただいた北京成城会の丹 涼子さん、関岡亜弓さん、張輝氏、筆者が参加しました。

国際珠宝展の開催中にもかかわず、主催者のら責任者である韓浩さんに来ていただけたことは幸運であり、展示会の詳細について沢山の情報が得られことに感謝します。交流会も回を重ねるほどに会話もはずみます。日中宝石交流協会の顧問をしていただいた肖向前先生の書籍に「永遠なる隣国として」があります。長い時間をかけていくつもの問題や苦難を乗り越えてこそ本当の友になり、心から信頼し和えるものです。今年で日中宝石交流協会は二十周年になります。この第四回日中宝石交流会を十二月に終え、二十年という歳月が過ぎ去りました。その間、日本と中国の皆様と分け隔てなく宝6石について、また宝飾業についてさまざまな言葉を交わしてきました。この永き時間を顧みると、そこにはいろいろな人々の顔が浮かびます。中国そして日本は永遠なる隣国である、あの言葉の大切さが身にしみて感じられてきます。

 

韓国宝石協会との交流

 

二0一二年十月三十日に韓国宝石協会から交流の申し出があり、翌年一月二十四日夕刻六時三十分から東京国際展示場北コンコ|スにある「坊」にて行われました。韓国側より鄭壽澤会長、通訳の金安善女史はじめ朴準緒副会長、洪在榮理事、苪明池理事、金善姫広報分課委員長、金垣柱宝石鉱物収集家協会会長の七名が出席し、日本側から猪瀬貞雄代表理事、冨江敏夫理事、風見清理事、松田圭三会員、古川猛顧問、橋本麗麗会員及び私の七名の参加によって始められました。参加者の紹介に続き、日中宝石交流協会と韓国宝石協会の簡易紹介があり懇親会にうつり、今後の両国における建設的な交流会の継続を確認し第一回目の交流会は終了しました。

今回はじめて行われた日韓の交流会は、東シナ海を囲む日中韓の協力体制の重要性を示唆するものでした。

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第五回 日中宝石交流会

 

二0十三年十一月一日の六時半より行われる記念すべき日中宝石交流協会創設二十周年記念交流会に参加するために、十一月一日に羽田国際空港を旅立つ。この二十年の間には何人の中国の方とおあいしたであろうか?それは又、目には見えない実績として残り、今後も益々日中宝飾のために活動をはじめる原動力となっています。今日は十月の十七日です。出発まで二週間です。先ほども姜貴善さんと韓美栄さんと北京でのスケジュールの打ち合わせもあり一年ぶりにお会いするのを心まちにしています。訪中には毎回のように新たなる人との触れ合いも刺激てきでした。

 

日中宝石交流協会 二十周年記念       7

 

日中宝石交流協会の設立二十周年記念が二0十三年十一月一日、北京市内の「花家恰園国展店」で行われた。日中双方から三十名が参加し、将来に向けたビジネスについて語り合い、有意義な意見が交わされた。中国からは中国商業連合会(世界真珠協会)の何乃華会長はじめ北京大学珠宝学院の雀文元教授、中国地質大学珠宝学院の呉国忠院長、北京科技大学の於洸普教授、陳形形女士、中国珠宝協会の彭角秘書長、中国珠寳(広報雑誌)の焦峰編集長、北京大学の姜貴善女士。当協会北京顧問理事・韓美栄女士、新疆博物館長・黄俊冨先生、日本の成城大学を卒業後、日中に精通する弁護士として活躍する張輝先生。韓国からの参加は、韓国宝石学協会理事である製造卸の洪在栄先生、韓国真珠研究所・朴京瞥所長、宝石研究デザイナーの金案善女士。日本からは語学に精通し宝飾業界と化粧品業界で活躍する冨江敏夫氏(株)ハイリッチはじめ、希珍石の収集家として有名な三好郁子女士(MIQ代表)、プロ写真家として活躍の尾越健一氏などが参加した。この交流会は日中韓の三国がはじめて同席したこに意義をもった。それは将来にむけての情報交換にとっておおきな発展といえるでしょう。

 

 

 

第三十一回 ミャンマー宝飾ツアー

 

日中宝石交流協会創設以来、二十年間にわたり中国国内の視察および交流を続けており、アジア周辺諸国への視察をおこなっておりませんでした。日本国内における経済動向は依然混沌たるものがあります。そんな状況におけるアジア宝飾事情に関して、日本と中国にからむもっと知るべきことの重要さから二0十四年四月八日から十三日にかけてミャンマー・ヤンゴンの視察ツアーをおこないました。

翡翠とルビーは何といってもミャンマーが知られています。この国にはそのほかにもたくさんの種類の宝石が産出されます。変わったところではダンビュライトがあります。最近、ミャンマーで採取される南洋パールが市場に出回っておます。アウンサン・スーチー8マーケットにはその真珠が売られています。Myanmar Pewarl and Jewewlly・社長Swin Tha Zin)。この真珠gはベイ町近海で採取されたとのことでした。色合いはやや薄いゴールデンでありながらも巻が厚いせいか輝り光沢は申し分ありません。いま、話題のアイス・ジェード(白翡翠)は投資宝石として中国では人気があります。このマーケーットでちいさいものばかりでしたが、政府公社の「GEMS and JEWEWLLY」のには美しいホワイト・ジェードが展示されています。宝石マーケットは大小いくつもあります。しかし、卸価格の統制や安定供給の面からすると仕入にはまだまだ難しい点がのこっています。とミャンマーと中国の国境に瑞麗(ルイリー)という町があります。そのむかし、ミャンマー北部のカチン州やモゴークなどで採れた翡翠やルビーは、この町を経由し、昆明まで運ばれ研磨された長い歴史がある。ミャンマーと中国は隣国であり、どちらも宝石の主要産出国です。そして、雲南省やカチン州は地理的な悪条件もあり、この地域での採掘は遅れています。まだまだ沢山の宝石が眠っていることは確かです。ミャンマーは大乗仏教を尊び、国民はとても穏やかです。これから本格的な民主化運動の途上ですが、将来はもっと海外からのバイヤーが殺到するのは間違いないでしょう。滞在中、日中宝石交流協会会員・ミャンマー・ヤンゴンにお住まいの西本ケイタ女史および家族の皆さまにお礼を申しあげます。

 

 

第三十二回 昆明・宝石の故郷をたずねて

 

二0十四年六月六日から十日にかけて第三十二回「昆明・宝石の故郷を訪ねて」を行う。今回で五度目の昆明訪問となる。

ミャンマーとの国境に接する雲南省・昆明までは、上海からおよそ四時間の飛行時間です。標高一千八百九十mの高地には一年をとおして花が咲き誇る。昆明は春城と呼ばれるほど風光明媚な観光名所です。かつては、インド、ミャンマー、タイ、ラオスなどから険しい山岳を抜け、国境の町である瑞麗(ルイリー)で売買された宝石は昆明にはいる。昆明は翡翠やルビーの研磨地としての古い歴史をもっている。それこそ中国へのジュエルロードの拠点であった。毎年六月に開催される昆明国際輸出商品交易会(昆交会)は広州交9易会に並ぶ大きなイベントです。毎日三万人が訪れるといわれる会場はなにしろ広い。会場の外に並ぶ大型トラクターやヘリコプターから日用品のお箸にいたるまであらゆる商品が並ぶ中国物産展です。宝飾展示会場だけでもビッグサイトはあろうかと思います。国内物産展にもかかわらずアジア諸国からの参加も多く「こんな商品が、こんなに安く。」と驚かされる。何しろ日本では目にできないような商材が所狭しと溢れている。大理石の産地である大理が近いこともあり色とりどりのマーブル商品グッズが目に付く。日本での小売価格は五千円は下らないような手の平ほどのネフライトを彫刻したヨットの置き時計が十元(約百五十円)なのである。すべてがこの調子です。地下資源に富む中国では石材の種類が豊富です。その中にはとても美しいものがある。石墨玉もその一つ、正式名は分からないが投資対象宝石になっているアイス・ジェード(半透明・無色ジェダイト)にそっくりです。この石は氷のようにすき透っており、バングルや数珠ネックとして売られている。涼やかな夏場のおしゃれジュエリーとしては最適な宝石です。日本ではこれからの商材の気がします。気になるのは会場のあちらこちらに出品されているオパールです。オパルといえばメキシコ、オーストラリアですが、カンボジア、ラオスなどのブースにはそれに劣らぬ魅力あるオパールが自国採掘宝石として展示販売されていた。これが事実であれば市場性がある宝石なだけにアジアン・オパールとして放っておけない存在です。 第二十二回目の昆交会では未知なる商材や商品がたくさん眠っています。    

 今、不幸にして日中の政府間の距離は離れつつありますが、反面、今こそ日本では目にできない商材を求め虎穴に入らずんばの時を思わせる宝飾展でした。

 会場から一歩外に出ると、先般の昆明駅付近での爆破事件の影響が色濃く残り、物々しい厳戒態勢の中国の現実がそこにありました。現状をみがそにありましたです。十響ているようです。昆明市内には東南亜珠宝市場、昆明駅前翡翠市場などいくつかの大きな宝石マーケットが毎日開かれていますが、なかでも面白いのが景星花鳥市場です。その昔、花鳥を愛好する広場でしたが、国境を越えて持ち込まれる珍しい宝石を楽しめるマーケットで、雑多にならぶ石の中にはとても貴重な化石や翡翠原石があります。翡翠(カワセミの意)は緑が基色ですが、この市場では滅多に見られない黒から赤にいたるカワセミの羽色である七色の翡翠を見ることができます。昆明1は北京、上海・広州とは遠くはなれた特有の歴史、文化、地理をもつ省都です。とくに雲南省は少数民族の混在が多く、人口四千人以上いる民族の数は二十六といわれます。それぞれの民族衣装は色彩も鮮やかで身につける宝飾品にも民族ごとの趣向が個性豊かに取り入れられています。この見る目を引きつけて離さないデザイン感覚は自然と人との融合作用と、その中に思い切りはじけようとする人間の潜在的意識の表現なのかもしれません。滞在中、都会でありながら時の流れは緩やかでのんびり流れ、明るく丁寧な応対に「富む者は貧しき者のためにある」昆明人の精神を幾度となく体験しました。中国は日本の二十六倍の国土と十数億の人口を抱える国です。これからも様々の問題を抱えながら発展するでしょう。「石林」が昆明の象徴ならば、中国にとって昆明は豊かな台地に憩う宝石のようにおもえる旅でした。通訳をしていただいた中国総合商社ルータ株の清原啓子様と昆明での楽しさを演出くださいました富英華女士と王黎女士に心から感謝申し上げます。そして、昆明錦江飯店裏道の冷えた屋台いビールで、神秘に満ちた昆明宝石に乾杯。

 

 

第三十三回 アジア最大の「香港国際宝飾展を訪ねて」     

 

九月の香港国際宝飾展はアジア地区におけ最大級のイベントである。夏の一番最中にこれだけの人が世界中から集まってくる。何故か?そこに宝飾のすべてが集結する祭典だからです。思えば数十年まえの蜂の巣のような小さなブースがならぶニューワールドホテルでの

国際展があった。その内容をグローバルにグレードアップしたのが今回の宝飾展といえる。会場は製品展示の湾仔と宝飾材料の空港近くの展示場に大別されおり、どちらも見逃せない。中国獅子舞が迎え、会場のオープニングをおおいに盛り上げる。ビクトリア湾を望むエスカレターを乗り継ぎ「JAPAN」フロアーへ、他の会場にくらべバイヤーがかなりたむろっている。広めの通路もカニ歩きになるほどの人気ブースもある。各ブースもそれなりに賑わっている。外国人にとって円換算は悪いなかのこれだけの人を呼ぶにはワケがある。圧倒的な低価格商品帯と日本製品の信頼度の高さです。この先、数年間は日本ブースには全く空きがない。中国大陸からのバイヤーも殺到していることもありブース抜けする見込も皆無とのことだ2

った。広すぎるともおもえる会場の各ブースの宝飾はどれもスポットライトに眩ばかりに光輝いている。一見、余裕の国際宝飾展とみえるが、そこには目に見えない取引が転回されています。いずれのブースもここぞとばかり自慢の製品を展示している。良く売れるものなにか?それはバイヤーのニーズにあった価格であったり、購買意欲を引き立たせる製品です。ヨーロッパ企業の売り込みのうまさは服飾ファッションでも車でも納得ですが、以前、シルバー専門

のフランスブースを見て宝飾においても宣伝のうまさを再認識しました。一万円ほどのシルバー製品にでしたがデザイナーのサインと製作地名が打刻されていたことです。「F・シルビア」「Paris」と

いったように。また、その製品へ誘うように創作デザイナーと製作風景の写真がライトアップされていた。それはチョットしたアイデ

ィアがもたらしたシルバーブランドの演出だったにしても、効果は抜群、かなりの人が買っていた。物語性をもつ製品づくりとよく言

われます。それはちょっとした可能性からうまれてくるものなのです。心惹かれるブースには人が集ります。会場には御徒町からの企業も出展していた。その人気ブースの何か?を知るために覗いてみた。金地金を専門に販売する株式会社オーロラのブース内はバイヤーの応対で大忙し状態であった。製品はすべて「Made in Japan」の地金製品だけで外国生産は一つも並べない自信のブースである。日本の製造技術と地金の信頼性を売りにした出展である。金を好む中国人にとっては見逃せないスポットとなっており、案の定凄い人気である。.ジャパン・フロアーの一番奥で活気に満ちていたのが村田宝飾株式会社。「人が輝いてこそ村田」の国内キャッチ・フレーズをそのまま海外にむけていた。商品の種類が圧倒的に多い。その輝きを可能にしているのが国内外における情報ネットの充実だろう。ここに固まるバイヤーは目も手も休めることができなほど選んで楽しいコーナーである。いわれてみると、接客するスタッフも手際もよく輝きを放っていた。一方、飛行場近くの会場はアクセサリーや宝飾材料を主体としたブースが所狭したならんでいる。バイヤーも湾仔に引けが取らないほど多い。日本からの裸石専門ブースはほとんどない。インド、ミャンマー、タイ、ブラジル、スリランカ、中国といった出展にはその国の宝石がズラリと居並ぶ中、同じく御徒町のグローバル トレーティングがブース名、株・スーパートレーディングとして出展していた。二世代にわたる色石専門卸のオーソリティーで、ショウケースには所狭と世界中の宝石が並ぶ。各国の3宝石を一同に見ることができるが人気となっている。特にエメラルドやオパールはコレクターものも揃っていた。二代目の十年近いオーストラリア駐在が体験となり出展に生かされていた。インド人が一生懸命インド宝石を選んでいたのがとても印象的だった。この他にも多くの日本企業が香港から世界への姿におお声で「加油」と言いたかった。九月の香港国際展には五万九千百十六人が国と地域から訪れ、三千六百九十四の企業の出展があった。その内、日本からは百九十社の出展となった。日本館の圧倒的な人気は、バイヤーのニーズと売り手の情報収集、そして、製品の三身一体の合一性による成功と不断の開発努力に他ならない。今回の日中宝石交流協会の香港視察において大変お世話になりました主催者UBMアジアの中村文子様にお礼を申しあげます。

 

 

 

            

 

第三十四回 「北京訪問・第六回日中宝石交流会」              

 

二0一四年十一月十五日から十八日にかけて北京宝石市場視察と第六回目の日中宝石交流会が行われました。

北京の十一月は寒い思がありましたが、コートなしの穏やかな日々を滞在中過ごせた今回の視察ツアーでした。その上、北京エイペック開催直後のためか街中の車もすくなく透き通るような天安門を久しぶりに見上げることができました。ホテル到着の二時間後には日に交流会常連になりつつある花家恰園 国展店において第六回目の日中交流会がとり行なわれた。

中国宝飾の列席には北京大学教授の崔文元先生、第一回目からの長老である彭觥先生、中国地質大学(北京)珠宝学院教授の何雪梅先生、北京大学 地球与空間科学学院の王長秋先生、北京珠宝首飾研究学院教授の魯克化先生、北京大学の花福生先生、藩家園北京大学中心の何志紅女士、中国国際科技促進会副会長の李家广先生、北京璀鈷珠宝貿易有限責任公司の陳形形先生、宝宜桓芬珠宝の梁坤女士、北京工芸美術出版社社長の陳高潮先生と陳朝華先生、通訳とし滞在期間中、公私とともにその力量を如何なく発揮してくれた唐翊先生、そして日中宝石交流協会の活動に常に助力下さっている韓美栄さ4ん、中国を代表する宝飾本・中国珠宝編集長の焦峰先生並びに孫重你先生、私の大学の後輩であり日本に精通する弁護士の張輝先生。今回は二度目になる金安善女士は韓国代表としてビジネスをアピールしていた。

日本からは、宝石鑑別機関として長い実績をもつ株式会社 東京宝石科学アカデミー・社長の近ケイ子様、同技術室長の小川日出丸氏、東京のメーカー有限会社・ミリオンコム社長の井ノ口様、中国地質大学・珠宝学院第一号日本人卒業生で現在北京で活躍する野口晋太朗さん、慶応大学卒業後、弁護士として北京在住の萩原さんなど総勢四十名による交流が行われた。崔先生による乾杯にはじまり、終わりを知らないほどの席上、彭先生から「日中宝石交流はことしで二十周年です。今後も途切れることなく継続することこそ大切です」の言葉がとても印象的でした。今回の交流会には科学・学術分野の方が多く、宝石の鑑別技法についての話題が目立っていた。

翌日は市内視察として潘家園マーケットにいく。このマーケットは宝飾の材料探しにはとても面白い。ただ、どこに宝物が潜んでいるかが知れないのでシラミ潰しに一軒一軒まわる辛さがある。北京の宝石小売店にとっても見逃せないスポットのようです。同時期に二0十四年北京国際珠宝展覧会が開催されており訪れる。今年は去年よりディスプレイや会場内部の整理が充実されていた。しかし、海外の出展やブースがとても少ない。日本からはゼロである。全般てきに価格が高く仕入れの対象には難しい面が残る。それは卸ではなくユーザーを対象にした小売販売の向きが強いせいです。仕入れを目的とした海外企業にとっては時間を掛けただけの成果は期待できないようです。また、参考プライス札がないために、その都度聞く手間は、時間の限られたバイヤーにとっては難しい商談です。場内には中国人の好むヒスイの原石や彫刻、ルースが目立つのもユーザー展指向からくるものです。その点が香港の宝飾展とは異にしている。いまや上昇気流経済の中、売れたらこれほど利益を生む催しは他にないだろう。それにしても会場内の展示宝石の種類は多く、宝石の愛好者にとっては一度ならず訪れてもよい北京国際宝飾展です。

先日の交流会で名刺交換のあった王長秋先生の招待で、北京大学の地球与空間科学学院を訪問。学院ビル1階にある中国国内採掘の鉱物博物館を案内される。日本でも同種の鉱物をみることができるがどの鉱物も展示品とは思えぬくらいすべてが大きい。ここには中国全土から集められたもので、中国地下資源のスケールの大きさに5驚くばかりである。この学院には地質に興味ある優秀な生徒が全国勉強にきている。将来の中国地質探査、土木事業の担いてである。

2階、3階の各教室は生徒であふれ、なかには遅刻で駆け込む姿も見受けられたが、みなさん楽しそうに受講していた。この科学学院のなかに宝石鑑別を行う研究室があり、依頼の宝石の鑑別書を発行している。同行した小川先生はその道の研究者でもあるので鑑別センターのスタッフと技術内容や方法論を熱っぽく語っていた。

この数年で中国の宝石鑑別における研究開発は盛んで北京はその点で最先端の情報と総合的技術革新の基となっています。国土資源部珠宝玉石首飾管理中心は中国最大規模をそなえる宝飾・宝石・鉱物に関する研究と鑑別機関といえる。

研究室に努める陸太迸先生は宝石研究者として国際的立場で活躍しております。これからの宝飾業界はもっと国際的分野に立って、アジア圏においても相互協力の必要性を語り合った。中国は宝石産出国なので研究サンプルが豊富です。とても羨ましいかぎりです。今回の北京ツアーは中国サイドの全面的な協力を基に人脈の広がりや日中双方の新しい宝石情報交換、研究室や宝石鑑別室などの視察ができました。特に、その成果の陰に、焦峰先生、韓美栄さん、野口さん、それと名通訳とドライバーの役を果たしてくれた唐さんなどの存在なくしてありえない旅でした

 

 

続く

第三十五回 広州ツアー

 

二0一五年三月二0日から二十三日まで行われた。第七回目の「日中宝石交流会」は初の広州でのことです。広州は何と言っても中国での台所といえるでしょう。それは食に関しては勿論ですが、我々の飾る「飾」についてもいえます。とくに広州は宝石も研磨としても国際的に知られることから、世界中の原石の集積地となっています。日本の甲府も同じ研磨地ですが、国内産出量からすると中国は圧倒的な地下資源の恵まれています。そのような背景を持つ広州野リーワン市場を中心に世界中からバイヤーが集まります。リーワン市場から車で一時間のところに国内需要95%の翡翠の街・平州市場あります。他の市場と違うのは緑の街といえるほど翡翠でうめつくされています。翡翠の存在性がいかに中国の方にとって重要かを知ることができる街です。この市場では裸石から製品まですべて揃っています。結婚、出産などお祝いごとや記念行事なのときには翡翠を贈ったり買う習慣が根強く残っています。国内の翡翠需要はここで買うことが多いとのことです。細かい製作には最新技術を駆使した顕微鏡を有効利用した製造機も揃っていますし、デザインなどもほとんど機械を用しております。まだまだ知られていない翡翠の世界は奥が深い印象をこの街は教えてくれました。

広州での交流会は流花湖公園内にある南海漁村レストランで行われた。名前のとうり庭内には漁村で採れた伊勢エビやら漁獲類などの店が並び、まさに食の広州ここにありです。

中国側から広州中山大学教授であり宝石鑑定センター主任・丘志力先生、広東省出入国疫局・梁佛章処長、広東省珠宝玉石首飾行業協会・丁明貴先生、王琪欽秘書長、広東省玉器商会・穸(?)愛群会長、広東省彩色宝石商会・王海金副会長、広東省黄金協会・江后云副秘書長、広東省黄金集団公司・(?)作斌副総経理、広地珠宝集団有限公司・候瞬瑜事長・広州・刨慧珠宝友展有限公司・朱敏経理、広州市番禺貿促珠宝産業服務中心経理・黄运欣女士、番禺珠宝・李超先生が出席された。日本からは、株式会社ハイリッチ・冨江敏夫氏、株式会社 東京宝石科学アカデミー・近ケイ子社長、同アカデミー・小川日出丸鑑別室長、株式会社ナチュラルストーン カフェ・佐瀬キレン社長、日中宝石交流協会・佐藤孝之が出席しました。

広州での会合ははじめてのことあり、名交換と個々での雑談を踏まえての自己紹介であった。しかし、双方の参加者にとって今回の交流会は将来にわたり有意義なひと時なった。終わりに丘教授から「今回のこの交流会を大切に、しかも、今後のより良い相互の発展のためには、ぜひとも継続しなければなりません。」とのご発言があった。一度の「乾杯」が十年らいの同衾のひらける友となってしまう背景には、お互いの信頼関係があってこそのものである。

今回の広州交流会はそれこそ北京からの助力があってこそ成功しました。特に中国珠宝の焦峰先生の助言があり、同スタッフの孫重你先生が遠途広州まで駆けつけてくれたことです。日中宝石交流協は常に中国の方に助けられてここまできたなーと実感する広州ツアーでした。また、広州滞在の佐瀬キレンさんや中山大学学生の浅田君には通訳で本当にたすけられました。彼の友達の平山君や張本さんの参加で毎夜の宴を楽しいものにしてくれました。そして、毎晩の食卓を飾る美味しい広州料理と上海ビールは異国での火照って体を大いに癒してくれたことに感謝、感謝でした。

 

 

第三十六回 上海ビジネス展示会

 

日中宝石交流協会としての初の試みを行ったのが宝飾展示会です。その目的は中国におけるメイド・イン・ジャパンの宝飾品の市場性を知るためでもありました。上海は世界のファションの先端を行くといいます。その上海での宝飾展示会です。オークラ・ガーデンホテル二階にある「百合の間」はおよそ30坪ほどで、普段は結婚式場に利用され、白一色に統一された格式のある部屋が今回の展示会場となりました。この催しには上海窓口として単国宏先生と現地日本宝飾企業の大森さんのご協力をいただきました。2015年5月1日は中国の祭日と重なり、帰郷したり行楽にでかけたりで、街中は普段より人並も少ないのが気になります。

 催しは「日本珠宝首飾鑑賞会」と名称され、午後一時からの六時まで行われた。催しは一般の購買者を対象にしたものですが、集客には上海在住の日中宝石交流協会関係者の口コミで来場された方が殆どです。会場ではダイヤモンド、ルビー、サファイヤをはじめ中国で人気のある珊瑚やエメラルド、地金製品などが出品された。

 開場とともに狭い部屋はいっぱいになり、4名の販売スタッフは

対応に精一杯でした。いま、日本に年間300万人が中国から来日します。お土産ショップとして知られる多慶屋、アメ横がある御徒町は宝飾の街としても有名です。宝石店に足を運ぶひとも多く、その経済効果は想像をはるかに凌いでいます。およそ800品がならぶこの上海宝飾展においても同じように手に取り、身につけ楽しむ姿がありました。上海の女性は宝飾品が好きです。歴史的にもおしゃれ感覚が身についているようです。女性にとって身を飾る、美しくなるための神器は服飾、宝飾、化粧品でしょうか?会場の姿鏡は押すな状態でした。宝飾品の買い方も地域によってことなるようです。それは東京と大阪でも違うように、北京はの即決型に対して上海はどちらかといえばじっくり考慮型のようです。たった5時間のミニ展示会でしたが日本宝飾品の人気の強さを窺い知ることができました。その最大の理由としてデザインの良さ、商品の確かさ、特に金、プラチナなどの地金の純度が正確であること。その他に、日本人特有の生真面目さからくる製作技術精度の高さが根強い日本宝飾の人気になっていました。日本の円安が続く中、メイドインジャパン製品への憧れにたいする購買意欲の高まりは止まりません。かつて宝飾品の消費国を誇った日本でしたが、これからはメイド・イン・ジャパン・ブランドを世界に発信する絶好のチャンス「買って得する宝飾品」それが日本製品です。今回の上海宝飾展で度々耳にした「ピィョーリャン。リィンガ、リィンガ。好」はあまり目にしない日本宝飾品を絶賛しているかのようにきこえました。

気のせいでしょうか?

 

今回の会場となったオオクラ・ガーデンホテル上海と宴会責任者の鄭海東さんのご協力に感謝します。

 

                日中宝石交流協会 佐藤孝之

 

 

 

続く

第三十七回 中国訪問

二0十五年九月四日は「抗日戦勝記念日」の式典が盛大に執り行われた。訪問はその翌日の五日であった。生憎の雨の出迎えでしたが、街中は連休と重なり空港から宿泊の京倫飯店までノンストップ状態である。今回の訪問はグループツアーとはことなり久しぶりの一人旅です。着いたその午後に韓美栄さんと中国珠宝編集長とお会いする。日本における中国からの宝飾買い付け熱も急激な株価の下降に伴い、一時の爆買いも減少したかのようです。反面、数年まえには一元十五円レートがいまでは二十~二十一円を行き来する急騰ぶりに、中国の経済の変遷がうかがえる。五月に訪問した上海から数か月間でもレートの変動にはびっくりである。今回の訪問でじっくり見たいのが日本宝飾品の現状と中国における宝飾市場の実情です。北京には知り合いに日本宝飾品についてきいてみた。だれもがいうのは地金の確かさとつくりの良さである。中国市場における宝飾品の普及は荒ましいいきおいで広がっている。その背景になっているのが急激な経済成長は言うに及ばず。投資、投資が不動産や骨董品、宝石や宝飾品にむけられ、いまや、株買いにおおくが向けられている。現地の交通手段はべつとして日常生活品からすべてにわたり物価上昇中である。それは嘗ての日本がそうであったように中国でも同じ道をたどっている。しかし、その上昇率はあまりにも急激なことである。因みに長安宮飯店から2~3分の百貨店をのぞいてみた。

特に中国で人気の血赤珊瑚の価格はどうか?さすがに人気商品である。およそ10ケースのなかは珊瑚でみたされていた。数万元から何十万元値札が当たり前のようにつけらている。日本の小売りのほぼ5倍である。日本とは実販売形式が異なりそこから交渉によってじつ価格がきまるのだと思うが、知らないに品人だったらこしを抜かす表示価格です。全般的にぜいたく品はべぼうに高いのがまかりとおるのも、それを超えるべらぼうなお金持ちがいるのも確かです。

今の人気は翡翠は別として、ダイヤモンド、エメラルド、ルビー、といった赤色系と緑系の宝石が人気あります。その傾向も徐々にかわると思えるのは、一時は投資の対象から個人にとっての楽しむ宝飾品の購買意欲が高まりつつあります。その証拠に店頭にはごく一般てきな宝石であるトルマリン、オパール、ガーネットやアクアマリンといった安価で個人趣味にあった宝石が並び始めていた。よく耳にしたのが「日本のものがほしい。」でした。でも、日本から輸入するには関税の複雑さとその手続きをクリアーしなければならない。

帰国前日に、北京の通訳がこんなことをいいました。「日本人は贅沢ですよ。

北京にはないきれいな空気と飲める水をトイレやお風呂に流しているんだから。」

それは普段では気にかけない北京での貴重な言葉でした。これから水を大切にしよう。

 

 

 

第三十八回 黄金郷・招遠を訪ねる

 

「さぁー、出発だ。」古代の黄金発掘を訪ねトロッコに乗りこんだ。トンネルに入るとすぐに下り坂となり冷んやりとした無限の暗闇へと吸い込まれていく。ここは招遠市郊外にある「黄金博物館」の裏手にある金鉱で、数百年前に実際に金が採掘されていたところである。金鉱内は当時の姿がそのまま再現されており、中国では唯一実体験ができるところである。金鉱窟の岩肌には生々しい採掘跡が今でも荒々しく残り、金への執念のすごさが忍ばれる。金鉱石は重く硬いために採掘は困難を極めたことだろうが、この地から東に経度をたどると日本の金鉱山であった佐渡ヶ島にドンピシャリとつながる。アジアが一つであったゴンドアナ大陸時代には招遠市と佐渡ヶ島は隣接してなどと思いを寄せる。ここ招遠市はリンゴと春雨が特産で、日本からの春雨関連企業もある。また、温泉地としても有名なので中国各地や日本からも観光に訪れている。何の変哲もないこの丘陵地帯に大地の神はとてつもない神秘な世界をつくりあげた。それこそ誰をも魅了する黄金である。その希有な恩恵は現在でも中国の六分の一(年間金産出量は約五十トン)の金産出を誇っているのだが、その地の利を得て金銀関連企業が目につく中、恒銀珠有限公司は三千の販売窓口を持つ大手金銀製造メーカーです。保安警備が厳しいなかで働く三百人の従業員は礼儀正しく、作業室も塵一つないほど管理がゆきとどいてる。郭社長は日本の技術力とデザインに絶大なる関心を寄せていて、将来は、新たなるブランド製品づくりに、日本の技術協力を顧い、現地での指導を強く希望している。一方、中国全土を網羅するネット販売を行う「YAEN」公司は百五十名のスタッフがフル回転する中国でもかなりの大手企業で、オフィスには最新情報機器が並び、その販売品目は数千をこえる。秦社長は富裕層をターゲットにしたジャパン・ジュエリーの販売に着手しているが、日本宝飾のスペシャル・ステージとしてジュエリー・デザイナー・永木 泉(株ラビア代表取締役)さんのオリジナル・ジュエリーが決定しており、近日中にネット・販売による中国デビューが本格的となる。招遠市政府としては盛んに日本との接近を図っていて、すでにメイド・イン・ジャパンの発信基地としてさまざまな分野の日本企業の進出をすすめている。日本から三時間半の距離にある六十万都市の招遠市は中国では小さい都市といえるが、地球上で一番価値のある黄金の魅力に溢れ、悠久の時代から歴史を刻み続けている。街を見下ろす山頂には、金色に輝く龍が月夜に舞い昇るといわれる龍湖(ドラゴン・レイク)が広がり「招遠」の名がしめすように、遠い地からの人々を心から招き歓待している。名湯につかり、金粉入りの「招龍・啤酒(ビール)」を片手に飲みつつ、黄金の龍となって、身も心も天空をさま酔う夢が叶うことを願って・・・。

最後に、孔子の故郷である山東省内の招遠市は、街の隅々まで金の魅力に溢れいた。

滞在中、戦會文先生、孫超先生にお世話になりお礼申しあげる次第です。

 

日中宝石交流協会 佐藤孝之

第三十八回中国視察ツアーより

二0十五年十二月記

第三十九回深圳・香港の旅 ー合成ダイヤモンド

 

日本の宝飾産業の最盛期には三兆円といわれましたが、日本の約十倍の人口をもつ中国では未知数の産業といわれています。中国では、ここ数年宝飾アクセサリーの需要は急速に高まっている。その宝飾品の六割は香港までおよそ一時間に位置する深圳市のメーカーによって製造されています。いっぽうでは北京に本部をもつ国土資源部珠宝玉石首飾中心(略称NGTC)の深圳鑑別センターは唯一国家の運営組織で三百名のスタッフによって一日に九万個に近い宝石を鑑別しています。このとてつもない数の鑑別需要の原因が「合成ダイヤモンド」です。一九五五年にGE社によって発表されたMan Made Diamondから数十年を経て宝飾用の美しい合成宝石として注目されはじめています。合成ダイヤモンドは高温高圧法(HPHT)と化学気相蒸着法(CVD)によって製造され合成とも人工とも呼ばれているこのダイヤモンドはルーぺや低倍率の顕微鏡での判別はとても困難といえます。深圳鑑別センター責任者のMr.Lanは「深圳は香港が近く、我が国の製造の影響もあり合成ダイヤモンドの鑑別需要件数はもっと増えるでしょう。現在、キャラットサイズからメレーサイズまで製造範囲も広がり製品にも幅広く使用される可能性があります。現在は全体のダイヤモンドの0.三パーセントほどに合成ダイヤモンドが認められます。」と言っていた。このような状況にあってNGTCではより精度の高い合成ダイヤモンド鑑別器のGV5000を開発し、各支部への鑑別センターに配置して合成ダイヤモンド検品に対応している。

合成ダイヤモンドが市場に解放されている姿を目の当りにし「ついに合成ダイヤモンドがここまできたか」という実感がわいてきた。この美しい合成宝石が日本は勿論のこと世界市場に出回ることを考慮し、将来もっと鑑別技術を開拓しなければならないかという現実をここ深圳において痛感した。

今回、貴重な研究センター内部を案内いただいたMr.Yan Lan氏および北京NGTCのDr,Lu Taijin氏のご好意に心からお礼申しあげます。

尚、日中宝石交流協会では第四十一回中国ツアーを予定しています。九月十五日~十八日 視察内容「合成ダイヤモンドの現状を知る」「深圳国際宝飾展」「香港国際宝飾展」詳細などご希望の方はご連絡ください。

 

第40回深圳の旅 中国最新情報ー合成ダイヤモンド

日本の宝飾産業の最盛期には三兆円といわれましたが、日本の約十倍の人口をもつ中国では未知数の産業といわれています。中国では、ここ数年宝飾アクセサリーの需要は急速に高まっている。その宝飾品の六割は香港までおよそ一時間に位置する深圳市のメーカーによって製造されています。いっぽうでは北京に本部をもつ国土資源部珠宝玉石首飾中心(略称NGTC)の深圳鑑別センターは唯一国家の運営組織で三百名のスタッフによって一日に九万個に近い宝石を鑑別しています。このとてつもない数の鑑別需要の原因が「合成ダイヤモンド」です。一九五五年にGE社によって発表されたMan Made Diamondから数十年を経て宝飾用の美しい合成宝石として注目されはじめています。合成ダイヤモンドは高温高圧法(HPHT)と化学気相蒸着法(CVD)によって製造され合成とも人工とも呼ばれているこのダイヤモンドはルーぺや低倍率の顕微鏡での判別はとても困難といえます。深圳鑑別センター責任者のMr.Lanは「深圳は香港が近く、我が国の製造の影響もあり合成ダイヤモンドの鑑別需要件数はもっと増えるでしょう。現在、キャラットサイズからメレーサイズまで製造範囲も広がり製品にも幅広く使用される可能性があります。現在は全体のダイヤモンドの0.三パーセントほどに合成ダイヤモンドが認められます。」と言っていた。このような状況にあってNGTCではより精度の高い合成ダイヤモンド鑑別器のGV5000を開発し、各支部への鑑別センターに配置して合成ダイヤモンド検品に対応している。

合成ダイヤモンドが市場に解放されている姿を目の当りにし「ついに合成ダイヤモンドがここまできたか」という実感がわいてきた。この美しい合成宝石が日本は勿論のこと世界市場に出回ることを考慮し、将来もっと鑑別技術を開拓しなければならないかという現実をここ深圳において痛感した。

今回、貴重な研究センター内部を案内いただいたMr.Yan Lan氏および北京NGTCのDr,Lu Taijin氏のご好意に心からお礼申しあげます。

尚、日中宝石交流協会では第四十一回中国ツアーを予定しています。九月十五日~十八日 視察内容「合成ダイヤモンドの現状を知る」「深圳国際宝飾展」「香港国際宝飾展」詳細などご希望の方はご連絡ください。TEL03-3835-4998 日中宝石交流協会(宝石総合研究所内 佐藤まで)

合成ダイヤモンド・レポート

 

近頃、御徒町でも合成ダイヤモンドの噂を度々耳にします。しかし、その実態は未ださだかでありません。今回はアジア地域で最も合成ダイヤモンドの情報が集まるといわれる香港と深圳(シンセン)」を訪れてみました。香港国際宝飾展にてーー九月の宝飾展にしてはいつもの人波や中国人バイヤーの姿も少ない気がする中、目立っているのが合成ダイヤモンドのブースです。ブースこそ少ないにもかかわらずニューファイスの合成ダイヤモンドのまえではほとんどの人が足をとめている。ブース内ではその説明に聞きる人とルーペを手に取り「奇麗だねー。」見入っている。当然、天然と合成の言葉をなくせ物理、光学的にはまったく同質同像の宝石なのだから美しいはずです。ブースから離れると「うちの合成ダイヤモンドも見てって。」とアラブ系の売り込みが飛んでくる。ショウケースには6ctを超える合成ダイヤモンドが人目を引く。ロシアの・・に本部をおく会社では合成ダイヤモンドがここ狭しと並でいます。聞くとそのほとんどが高温高圧法(HPHT)によって製造されたものです。直径一ミリ以下のものから6ミリサイズまで見せてもらい、特に一ctサイズ以上のものには天然と同じように4Cグレードの鑑定書までそろっている。色合いもイェロー、カラーレス、ピンク、ブルーと多彩色の合成ダイヤモンドはすでに商品化され市場へと販売されていた。値段は天然にくらべて高いがそれは需要に対し極端に供給が間に合わないことからきています。実際に私の中国製造メーカーへのサンプル発注ですら間に合わないほどです。国際宝飾展は一角の氷山です。多くの合成ダイヤモンドが製造国を基点に国際市場に流出していると考えなければなりません。現に目の当たりにみた3社だけでも想像以上の数が売買されています。近い将来、合成のダイヤモンド市場にとって混乱をさけるためにも急務なのが鑑別問題でしょう。

深圳NGTCにてーーNGTCとは中国国家が管理運営する国内最大規模を持つ鑑別機関です。現在、深圳鑑別センターだけで鑑別有資格者が三百人、中国全土の鑑別センターで千人をゆうに超える世界最大規模をもつ鑑別機関です。鑑別依頼で一番多いのがダイヤモンであり。その数は年間五00万個と日本人には途方もない数値ですが現場をみるかぎり納得できます。その鑑別依頼数は合成ダイヤモンドの流出がその原因となっています。他の合成宝石とは異なる鑑別法とそれに対応する鑑別機器が必要となります。ここでは中国が開発した合成ダイヤモンド対応の短波領域の紫外線装置をそなえるGV5000が鑑別威発揮しています。この装置の利点はルースは勿論、製品でも鑑別ができることと映像が鮮明であることです。この研究室にはその他にも?千万もするラマン機器があり宝石鑑別に万全の備えをしています。鑑別センターを視察するうちに前回同行させていただいた東京宝石科学アカデミー(近ケイ子代表)が主任研究者の小川日出丸さんとともに合成ダイヤモンドの調査、研究に熱意をそそいでいた姿を想いながらこれからの鑑別の重要性を再認識しました。

深圳国際宝飾展にてーー深圳にはじめて訪れたのは二十五年前ですが、まだまだ田園風景が随所に残る香港への玄関口でした。いまでは人口千四百万の大都市となり製造メーカーと国際貿易港として脚光をあびています。街中は世界のブランドが立ち並び第二の香港の様相がそこにあります。その香港に1時間で行けるのも宝飾関連にとっての絶好の地の利といえるでしょう。会場に入るなり各ブースでの呼び込みの巧妙さには驚きました。ブース脇の小ステージではファッション・ショウや超ミニ・チャイナワールドには人が群がり他の国際展にはないような見て楽しい、買って嬉しいおもてなし企画に溢れていました。その企画ブースに合成ダイヤモンドがありました。出展する「EXIN DIAMOND」では合成の原石からカットにいたるまで懇切丁寧に説明してくれました。ブース内はありとあらゆる合成宝石が飾られる中、一際目につくのが美しいピンク・ダイヤモンドでした。合成原石から研磨されたものです。副社長の何信さんは若干二十代「何しろ今は合成ダイヤモンドが注目されてますね。当社はドイツをはじめアメリカに拠点があります。これからは日本へも。」と意気盛んでした。同行した日本青年の栁沢吉則君も「是非、日本で会いましょう。その時迄には合成ダイヤモンドの総代理店をつくりますから。」と若者同士の言葉を交わしていました。

天然真珠に養殖真珠があるように、天然ダイヤモンドに因む合成ダイヤモンドの純然たる姿を期待するところです。人類の夢である‘ Mam Made Diamond`の美しさは手にとってはじめて知るところになりますが、それは明日かもしれないほど合成ダイヤモンドが身近になっていることを実感する旅でした。

今回、香港に飛び立つ間際まで分かりやすい講義をしていただいたNGTCのYAN LANさんと深圳と香港まで同行していただいた通訳抜群の潘紅梅女士に感謝いたします。

 

 

★合成ダイヤモンド情報――宝石学会(日本)が主催するシンポジウム「中国におけるダイヤモンドの高圧合成」について講演が行われます。グローバルな見地からの情報も見逃せません。宝石業者にとっては必修といえる内容です。是非とも受講をおすすめします。

日時は十月二十九日(土)、午後三時三十分~午後六時迄 懇親会もあるとのことです。

詳細は0三―三八三四―七0五七 宝石学会(日本)事務局まで

 

 

 

2016年10月12日

 

日中宝石交流協会は一九九四年に発足しました。6

その間、さまざまな方のご支援やご協力、協賛を得て現在に至りました。日本と中国との関係はさまざまな変遷とともに現在にいたっております。長い歴史を通じ日中協力を基に発展している分野も数知れません。国情や習慣の違いによって生ずる問題は不可避ですが、その問題解決こそ両国にとって大切なことです。今後の宝飾産業の発展は、両国の地道な交流活動があってこそ成り立ちます。日本にとって中国は大切な隣国です。これからも、人と人との交流をもって、アジア全域における宝飾業発展展に努力していきたいとおもいます。

 

 

 

 

                    日中宝石交流協会 主宰  

                    宝石総合研究所  代表 佐藤孝之

 

         

          日中宝石交流協会(宝石総合研究所内)

     本部 東京都台東区台東4-28-8 跡部ビル2階

           TEL 03-3835-4998

                      FAX03-3835-4998

                      E-mail : jcjea@hop.ocn.ne.jp 

 

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